4_小さい人と、大きな私たちへ

【成長と外出、両親の思い出】

前回は番外編として、長く熱く私の写真について語ってしまいましたが、写真熱が伝わったところで、本来の「子連れでクエスト」に関する内容に話を戻します。

原稿を藤原さんに渡した際「そういえば、赤木さんって子どもの頃のお出かけの思い出とかある?」という話になり、各章のプロフィールの下「一言コメント」にて、幼少期の思い出について書くことになりました。


1章では父との思い出2章では母3章では子どもの頃のこと、、、4章では今思っていることについて書いています。

思い返せば、小さい頃から「自分のことは自分でやるように」と育てられてきた記憶があります。どこへでも一人で行くし、出先で道に迷ったら知らない人にも声をかけて聞いていました。今のお子さんたちと比べると危ない目にも遭ってきた気がしますが、、、その分危険を察知する能力や、他者と関わっていく力を付けられたとも感じています。


家の外へ出ていく、知らない場所へ行ってみるというのは、子どもにとって冒険であり、新たな視点を手に入れることに他なりません。


私が自発的に写真を撮るようになったのは小学生の頃。友達や猫、空、植物などの身近なものを、家にあるフィルムのコンパクトカメラで撮っていました。


撮り終わったら、近所のスーパーにある写真コーナーで 同時プリント(現像とプリントを一緒に行うサービス)に出してもらい、新しいフィルムを入れてまた好きに撮る ――――― カメラをいつでも自由に使って良かったから日常の中で自然と撮っていたわけで、、、子どもにそんな権利を与えてくれた両親に、私は今、感謝しています。


まさか未来で写真家になるとは想像もしていなかったはずですが、興味を持ったことを受け入れてくれた結果が、現在の私に繋がっています。



【最後に】

お仕事で撮影する時、小さい人たちは心のままに喜怒哀楽を表現しているので、我々のお願いが叶わないこともよくあります。しかし、七五三で足袋が嫌で泣いていても、こっち見るのを恥ずかしがって顔を隠してしまっても、すべて愛おしく思えてしまうくらい皆可愛いです。どんな瞬間の写真も未来で見返したら特別な宝物になると信じているし、そのままの姿で愛されていた時間を残してあげたい、、、、と思うのです。

しかしながら私が心からそう思えるのは、子どもたちと触れ合うのが数時間だからかもしれないとも理解しています。


生まれたての赤ちゃんのところから、叱ったり諭したり、可愛いだけではすまされないたくさんの時間をかけて、一人の人間へと育てていくのはとてもすごい、素晴らしいこと。


だから子連れのご家族には、どんな時でも「遠慮しないで大丈夫だよ」って言いたい。


藤原さんが作品で問いかける「ベビーカーに抱っこ紐で外出する際の大変さ」は、地理的・建物的な困難さはもちろんのこと、当事者以外の他者との関わりにおいても解消されたら圧倒的に生きやすくなるはずで、、、それを可視化する試みとしての今回の作品の在り方に私は期待していますし、写真として記録することによってより良い未来へ変えていけるようにとも願っています。


そしてこのコラムが、街中の「無理ゲーなダンジョン」について想像するきっかけとなりましたら幸いです。


脱線したりもしましたが、とりとめのない文章を読んでくださってありがとうございました。(人生はまっすぐ進まなくても面白い、よね?)


イベント…一緒にビエンナーレ⁉


赤木 遥 あかぎ はるか

写真家/アーティスト

1987年生まれ。写真を撮って暮らしています。

赤木:大人になった私は、コロナウイルスの流行する前は、行きたい場所にどこへでも出かけていく暮らしをしていました。移動することは喜びであり、行き先で出会う景色や人々に、写真を通して小さい愛を示したいと。誰にとっても移動自体が無理ゲーとなってしまった今日ですが、世の中が落ち着いたらまた、たくさんの何かに出会いに出かけたいと思っています。