1_親和性?類似性?撮影機材をもって移動すること
【はじめに】
こんにちは、赤木遥です。
私は写真を撮って暮らしています。世間的には写真家・フォトグラファー・カメラマンなどと呼ばれていて、作品を展示したり、お仕事として人から依頼を受けて撮影したりしています。
今回は記録撮影でこのチームに参加しているのですが、コラムもひとつ書くことになりました。ちょっとだけ、お付き合いくださいね。
【みんなのクエスト】
私自身は独身で子どももいないので、言葉通りに捉えれば「子連れで外出」の当事者ではありません。しかし、藤原さんとの打ち合わせの中で「いや、でもそんなことはないかもしれない、、、なんとなくわかるところがあるけれど、それは何だろう?」と話になりました。
(キャリーの全長は55センチ。この他に三脚やライトスタンドを持つ場合も。)
例えば私の場合、どんな撮影でもカメラの機材というものは大きく重く、それらを専用のキャリーカートに詰めて街を移動する際には、なるべく階段を使わずにすむようエレベーターやエスカレーターを探します。電車やバスが混んでいるとちょっと肩身が狭かったりもして。そんな時に、私と同じように大荷物でベビーカーを押しているご家族に遭遇すると「あ、仲間だ!」と感じることがあるのです。
もちろん、子どもと機材は違います。
機材は何も話しませんが、小さい人たちは「喉かわいた!」「降りたい!」など声を上げたり、立ち上がったり、抱っこをせがんだりしますよね。その度に周りを気にしたり、申し訳なさそうにする親御さんを見ると「大丈夫、気にしないで!」とも思うのです。
私は仕事柄重たい機材の持ち運びによって、日々街中が「無理ゲーなダンジョン」と化すクエスト的体験をしているわけですが、少し視点を変えれば身体の不自由な方やご高齢の方もよく似た大変さのもと移動しているわけで。
そう考えると「子連れの人たち」に限らず、街の中には各々にとっての「無理ゲー」と呼べる困難さが発生し、そんなクエストに挑む人々が往来していることに気づかされます。
赤木:私は本が大好きな子どもだったので、休日は父と図書館に行って、それぞれ好きな場所で自由に本を読みました。そして「帰るぞ」と言われたら、家で読みたい本を借りられるだけ借りて帰る、、、というのが私にとって日常的な父との外出の思い出です。
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